私の場合の夢の叶え方~群馬県太田市に自然の遊び場プレイパークを創る~
このブログをはじめたときは、想像もできていなかった進み具合。
今年の2月28日に、こんな記事を書いていた。
ビジョンを作る、などこの記事に書いたことをすべてクリアしてきたわけではないが、半年以上経って、ずいぶんと見識が広がったことは間違いない。
この夢を与えてくれたのは、あかぎの森のようちえんさん、森のhahako園さん、あそビックさん。息子が不登園になってから8か月、私の世界はガラッと変わった。
なかなか記事にかけていないが、その息子も今月から保育園に入ることができた。
今はふたりのこどもを保育園に預け、森のようちえん、カメラマン、赤ちゃん先生、たまにイベント企画などさまざまな分野に手をだしながら働いている。
悩みに悩んで、夜な夜な泣きながら決断を下した退職。1月末のことだ。公務員、教師という安定した職業を捨ててまで進んできたこの道は、今は胸を張って正しかったと言える。
私が子育てをする中で必要だと感じていた、自然の遊び場。とうとう9月から地元の太田市金山に、自然の遊び場が誕生する!場所と建物までお借りすることができた。
2月末の森のようちえんについての勉強会で集まってくれた方たちと、手探りで少しずつ歩んできた。まずは実績つくり!と月に1回から始まり、2回、3回と増え、今ではおよそ月に4回活動している。森のようちえんなのかプレイパークなのか名称についても話し合い、現状では森のようちえんがぴったりだろうと決めた。
森のようちえん じらんぼう。 じらんぼうとは、上州弁(群馬)でどんぐりの意味だ。
この半年間、まったくのボランティアで賃金は出ていない。活動費は歩ける子から100円いただこう、と話し合って決め、それは運営メンバーでも同じ。お金を払って参加している。その中から救急箱や消耗品などを購入。
いきなりひとりで森のようちえんを始めることは、私には不可能だった。一緒に悩んでくれる仲間が必要だった。ときに休日に公園に集まってミーティングしたり、家に集まって食べながら話し合ったり。
おかげでFacebookのページの作成・更新、LINE@というメルマガの発行や、活動費の管理、救急箱やその他必要な備品揃え、毎回の活動場所の決定、参加者の名簿つけなど、一人では到底続けることのできなかった業務を分担してくれている。さらには森のようちえんの常連さんに運営側に入ってもらって、ここまで続けてこられた。
元からそれぞれの土地で活動を始めるつもりのメンバーが複数、運営側で協力してくれていて、今はそれぞれ地元での活動に専念してきている。スタート時とは徐々にメンバーが変わってきていて、でも相談に乗ってくれたり都合のつくときには応援に来てくれたりする。
運営側と参加者とが分裂していると、なかなか考えの部分までは共通理解がとりにくい。それでも、活動の良さに共感してくれて、多くの方にご参加いただいた。
春は太田市の金山の森キャンプ場で火遊び、みどり市の鹿田山フットパスで山遊び、夏は桐生市の忍山(おしやま)川や足利市の名草で川遊び。真夏の暑い時は公園の噴水で遊ぶこともあった。さて秋は再びキャンプ場かと話し合っていた矢先、急展開。
赤ちゃん先生の活動メンバーに足利の市議会議員さんがいて、森のようちえんで遊んでいたときにたまたまバッタリ遭遇。紹介していただけた。
その後太田市の市議会議員さんと一緒に遊びに来て下さることになり、本当に来てくれて!太田市金山に遊べる拠点が欲しいとお願いした。すると金山に土地をお持ちの地主さんを紹介してくれて、とんとん拍子にお借りすることが決まったのだ!!!
我ながらビックリ。
人と人とがつながって、私の夢がどんどん伝わって。
夢の実現まで歩みは一歩一歩と早くはなかった気がしていたけど、振り返ってみるとものすごい速さでここまで来た気がする。
夢を口に出してよかった。仲間ができてよかった。人が集まってくれて続けてこられてよかった。
みーーーーーーんなに感謝。感謝って言葉でまとめると安っぽくてなんだかしっくりこないけれど。
すーーーーーっごく嬉しいです!!!!!!♡♡♡
そして、気づきを与えてくれた息子にも感謝。収入がなくなること覚悟で私の決断を許してくれた夫にも感謝。
まだまだプレイパークとは呼べない感じだし、森のようちえんとして預かりをスタートさせていきたいし!やりたいことは山盛り。やれることをやっていこう。スタートのときと同じく。